映画『聖なる犯罪者』神父なりすまし事件の実話が胸を熱くする
2019年製作/ポーランド・フランス合作
監督:ヤン・コマサ
出演:バルトシュ・ビィエレニア、エリーザ・リチェムブル
あらすじ
少年院に服役中のダニエルは、前科者は聖職に就けないと知りながらも神父になることを夢見ていた。仮釈放され田舎の製材所で働き始めた彼は、ふと立ち寄った教会で新任の司祭と勘違いされ、司祭の代わりを命じられる。村人たちは司祭らしからぬダニエルに戸惑うが、徐々に彼を信頼するようになっていく。数年前にこの土地で起きた凄惨な事故を知ったダニエルは、村人たちの心の傷を癒やそうと模索する。しかしダニエルの過去を知る男の出現により、事態は思わぬ方向へと転がっていく。
引用元:映画com.
ポーランドの神父なりすまし事件の実話
驚いた。
ポーランドでは、本作のダニエルのように、神父になりすます事件が毎年起きているらしい。
神父になるには神学校に通い、厳しい修練を積まなければならない。まさに過酷な道だ。
しかし身分証の提示を求められることがほとんど無いため、「神父」と名乗ってしまえば受け入れられてしまうという。
映画のモデルとなった19歳の青年は、ダニエルのように1つの村ではなく、実際は複数の場所で神父を演じ巡ったらしい。
ある意味大したものだと感心してしまう。
若くとも、威厳やカリスマ性が相当あったのだろう。
さらに驚くべきことは、信者たちからの強い要望で逮捕後も無罪放免となったことだ。
犯人がダニエルと同様、いかに慕われていたのか推測できる。
監督のヤン・コマサは、そんな突飛な実話に目を付け映画にした。ストーリーは、なりすましの他事件も盛り込み、娯楽性とスリルに富んだ仕上がりになっている。
生まれ変わるということは
本作を観て、ヴィクトル・ユーゴー原作の『レ・ミゼラブル』を思い出していた。
長い監獄生活から出所した犯罪者の男ジャン・バルジャンが、司教の救いによって心改め、恵まれない民のために戦う物語だ。ジャン・バルジャンは犯罪者の烙印を押された過去を切り捨て、別人として生きようとしていたが、素性を知る者が道をふさごうとする。
生まれ変わろうとしているジャン・バルジャンと、ダニエルが重なって見えた。
ダニエルは第二級殺人罪(計画的ではない殺人)で服役していた過去を持つ。
仮出所後すぐにクラブで踊り狂い、薬物を楽しんでいる様子が映し出される。
しかし行き着いた村で、咄嗟に名乗った「神父」を演じ始めてから、顔つきが変わっていくのが分かった。
新しい理想の自分を演じると、村人たちは素直に受け入れ、尊敬のまなざしさえ送った。
村人たちの期待とダニエルの目指すべき道が重なり、ダニエルの邪心が確かに消えた。
人は、出会いによって生まれ変わったかのような自分を知ることがある。
それはもしかしたら、初めて本当に愛する恋人や守りたい人と出会ったときかも知れない。
あるいは、初めて親になったときかも知れない。
しかし本来の自分とは、実は不確かでしかないのかも知れない。
救えなかった信仰心
※ここからネタばれ含みます。
ダニエルは信仰によって、人生の灯を見出だしていた。
少年院までの道筋は分からない。
しかし神父を目指そうとするも、「前科者は聖職者になれない」という事実にダニエルは打ちのめされてしまう。
何とも嘆かわしい。
一度罪を犯した者でも悔い改めれば、道は開かれるという教えと矛盾してはいないだろうか?
ダニエルは分断した村を救済した。
捕まる直前、村から逃げ出すこともできたが、向かった先は教会だった。
最後まで神父として、葬儀のミサの務めを果たそうとしたのだ。
信者の哀しみに寄り添ったダニエルは、村人たちの傷付いた心を癒し、憎しみを断ち切らせた。彼が本物の神父でないと知っても、恨む者はいなかっただろう。
残された村人たちが彼の思いを引き継いでいくのが印象的だ。
そして再び少年院に送り返されたダニエル。
彼の中で信仰が怒りに変わっていったように見える。
自分を救ってくれたはずの信仰とは何だったのか。
ダニエルの声なき声が木霊するようなラストで、やり切れなさに溢れた。
心に刺さる映画の名言10選≪洋画編≫
映画の中で生まれた名言が、思わぬ勇気や、人生の道しるべとなるときがあります。
不意打ちの言葉はぐっと心を突き刺し、いつまでも胸に響き渡っていきます。
今回は映画好きの私が、特に心に刺さった名言を10選ご紹介します。
博士と彼女のセオリー
- 人間の挑戦に限界はない。 どんなにひどい人生に思えても、生きていれば希望がある
ALS(筋萎縮性側索硬化症)の難病を患う天才科学者スティーブン・ホーキング博士が、授賞式会場でスピーチした言葉です。
その想いに辿り着くまで、どれほどの葛藤があったか図り知れません。
ホーキング博士は余命2年と宣告されてから、少しずつ身体機能が失われ絶望し続けました。しかし愛するジェーンの支えで、家庭を持つことや、宇宙理論の研究を続けることをあきらめませんでした。
難病によって閉ざされた時間や未来を悲観視せず、ポジティブに困難を乗り越えることの大切さを伝えています。
ホーキング博士は、”ユーモアがなければ人生は悲劇”という人生論を掲げています。
きみに読む物語
- 誰にも負けなかったことがある。命がけで、ある人を愛した。私にはそれで十分だ
認知症の妻に語りかけた夫デュークの言葉です。
初めての恋は、甘酸っぱい思い出に満ちているものです。
しかし物語に登場する若い2人はあまりにも壮絶な出来事が多く、切なすぎるものでした。誰かを生涯愛し続けることは、犠牲を伴うことでもありました。もっと良い人生があったかも知れません。
しかし終わりを告げるその瞬間まで、愛にひたむきに生きた人生こそ誇りとしたデュークの不滅の想いが伝わってきます。
イル・ポスティーノ
-
あなたが帰った時、素敵なものはみんな持って帰ったと思った。
でも本当はいろんなものを残してくれたんだ
友人ネルーダが祖国に帰り、落ち込んでいたマリオですが、自分の住む島の美しさに気づいたときの言葉です。
それまで島はありきたりに人々の生活を切り取る、退屈な場所と思っていました。
しかしネルーダとの語らいで、身近なものこそ、奇跡の美しさがあることに気付いたのです。マリオは島に息づく音の数々を拾い上げ、ネルーダに届けました。波や風、教会の鐘、お腹に宿る子供の心拍音。そして星降る夜の音…。
マリオの起こした行動に、深い感動が広がっていきます。
レビューも読んで下さい♪
グリーンブック
- 勇気が人の心を変える
人種差別の激しい1960年代。黒人ジャズピアニスト・シャーリーが、あえてアメリカ南部へ演奏ツアーに向かう理由を、バンド仲間が代弁した言葉です。
ジャズ界で名を馳せても、一歩会場を出れば惨めな扱いを受けます。時に差別主義者から絡まれ、命の危険にさらされることもありました。
その地を拒絶することもできたシャーリーですが、黒人が大衆の前でピアノ演奏をし、白人たちに才能を披露することで根強い差別意識を変えることを信じていました。
踏み出した勇気にどれほどの価値があるのか、伝えてくれる言葉です。
桜桃の味
- 夜明けの太陽、夕陽、星空、満月をもう一度見たくないのか?目を閉じてしまうのか?全てを拒み、全てを諦めてしまうのか?桜桃の味を忘れてしまうのか?
自殺をしようとしている男バディに、老人がかけた言葉です。
それまで出会う人々に「自殺はよくない」と決まり文句のような言葉で諭されてきたバディですが、最後に出会った老人だけは違いました。
人生がつらくても、小さな喜びは日常にあふれている。目に映るものや感じる心を失わなければ、人生に屈することはない、ということを教えてくれています。老人もまた自殺を決意した過去があるからこそ、バディに寄り添うことができました。
人生絶望する者こそ、この言葉の重みを知ることができます。
イラン映画の監督アッバス・キアロスタミの温かなメッセージが沁みます。
ボヘミアンラプソディー
- 病に侵された悲劇の主人公でいるつもりはない。自分が何者かは自分が決める
自分がエイズであることをメンバーに打ち明けたときのフレディの言葉です。
性的マイノリティであることを苦悩し続けたフレディは、大切な人たちを拒絶し、快楽に身を任せる日々を送っていました。どんなに栄光を浴びても孤独と挫折を感じていましたが、自分を理解しようとしてくれる人や、一緒に頂点を目指した仲間の存在に気付きます。
QUEEN復活を決意し、自分の定められた運命を精一杯生きようとする覚悟が見える言葉でした。
この言葉通りフレディは彼らしいスタイルを貫き、伝説へと昇華したのを見逃せません。
ニュー・シネマ・パラダイス
- 自分のすることを愛せ
恩師アルフレードが、夢を目指して旅立つトトに贈った言葉です。
夢への道は厳しく、困難なものです。時に限界を知り、夢を追うことに疑問を持ってしまうこともあるでしょう。しかし自分のすることを愛していれば、決して迷うことはないということを熱く伝えてくれています。
とてもシンプルですが、アルフレードの言葉は、夢を目指す多くの人の勇気となって背中を押してくれるのを感じます。
レビューも読んで下さい♪
レナードの朝
-
みんな生きることの素晴らしさを忘れている。持ってるものの尊さを教えてあげなきゃ。
人生は喜びだ、尊い贈り物だ。人生は自由で素晴らしい!
嗜眠性脳炎という30年間眠り続ける病気から目覚め、人生を取り戻そうとした患者レナードの言葉です。
外に出たレナードは街が煌めいて見え、全てのものに感動を表しました。
生きている素晴らしさを肌で感じ、一瞬一瞬が奇跡の賜物であることを人々に伝えようとしたのです。やがて訪れる悲劇を思うと、レナードの絶望と希望に打ちひしがれます。
レナードの残した言葉は、当たり前に過ごしている私たちの心に気づきを起こしてくれます。
インターステラー
- 親になるというのは、子どもたちの未来の幽霊になることなんだ
宇宙に向かう父親クーパーが、泣きじゃくる10歳の娘にかけた別れの言葉です。
もう二度と会えないかも知れないことを、親子は覚悟していました。
父親は、そばに居られなくても娘を想う気持ちはどこにいても変わらないことを伝えています。また娘がその気持ちを感じ取ることを信じているのが分かります。
一見宗教的な教えにも聞こえますが、その後に展開される宇宙の壮大なストーリーを観ると、人の気持ちが時空や空間をも超越することを暗示しているようでもあります。
宇宙と死のつながりを感じ、深く胸に響いてきます。
ガタカ
- 僕に何ができて何ができないか、決めつけるな!
夢をあきらめるよう促す弟に、兄ヴィンセントが反論した言葉です。
近未来。遺伝子操作によって優秀な人間がはびこる社会で、自然妊娠で生まれたヴィンセントは差別を受けて育ちました。優秀な遺伝子を持たない人間は病気のリスクや、身体能力が劣っているため、進学や就職も冷遇されていました。
しかし宇宙飛行士という大きな夢をあきらめきれなかったヴィンセントは、エリートに混ざり、身分を偽りながら実現させようとします。
自分の限界に挑戦しようとする、揺るぎない決意が伝わってきました。
映画『ジャングル・クルーズ』怒涛のアトラクションが見もの
アマゾンのジャングルの奥深くに「“奇跡の花”を手にした者は永遠の命を手にする」という不老不死の伝説があった。行動力と研究心を兼ね備えた植物博士のリリーは、この秘密の花を求めて危険に満ちたアマゾンへ旅立つ。リリーが旅の相棒に選んだのは、現地を知り尽くしたクルーズツアーの船長フランク。「伝説に近づく者は呪われる」と言われる、アマゾン奥地の「クリスタルの涙」を目指してジャングルを進むリリーたち。そこで彼らは恐るべき真実を知り、奇跡の花をめぐる争奪戦に巻き込まれる。
引用元:映画com
アトラクションを自虐的に再現!?
映画の舞台となったのは南米のアマゾン川。
主人公のフランク(ドウェイン・ジョンソン)は古びた自前の船で観光客を案内するのが仕事。
オヤジギャグ連発で客は興ざめするも意に介さず、自然の猛威を熱く語りながら滝の裏側や野生動植物、原住民との一触即発を過剰に演出して船の観光を盛り上げていく。
フランクの度を超えた演技と、冷めた観光客の縮図に思わずニンマリしてしまう。
ディズニーランドのアトラクション、ジャングル・クルーズとよく似た雰囲気だ。
錆びた船。ぎこちない仕掛け。船長のオーバー演技。
どこか安っぽくて古臭い。
それがまた、妙な心地よさを感じたりする。
そう、本作は映画館でもアトラクションの空気をそのまま、味わせてくれているのだ。
自虐的なものさえ感じてしまう映画冒頭に、私は完全に引き込まれた。
そしてこれから始まる真の冒険への高揚感に包まれ、久しぶり胸が高鳴った。
滝の裏側のシチュエーションは、アトラクション感満載!
不気味すぎる悪役たち
今回も個性的な悪役が揃っている。
悪役がいてこそ主人公たちの活躍が光るもの。
特にディズニー映画では善悪がはっきりと分かれているため、欠かせない存在だ。(最近は過剰演出に走りがちな気もするが…)
本作も例に及ばず、悪役たちが際立っていた。
その風貌はグロテスク感半端なく、かなり不気味だ。
何せ、400年前に呪いにかけられた人間が生き返るのだから。
彼らの全身は蛇や植物、虫の大群に覆われて悲劇的なほどおぞましい姿をしている。外見だけではなく、心は憎悪と復讐心に取り憑かれ、主人公たちを容赦なく襲い掛かる。
まさに悪夢的な光景で、ディズニー映画言えども、小さな子供には要注意かも知れない。
さらにもう1人、ドイツ帝国王子のヨアヒム。
彼は世界征服を狙って「不老不死の花」を手に入れようと画策している。
ヨアヒムの仕掛ける脅しや罠がまた恐ろしい。ふつふつと湧き上がる怒りも狂気じみていて、ディズニー映画の本気度が伝わってきた。
冒険者の隠された秘密
ディズニー映画の実写版『美女と野獣』では、LGBTのキャラを初めて登場させたことで話題になった。
そのシーンは瞬間的ではあるものの、わりとその手の作品を観てきた者にとったら「分かる」見せ方だった。
賛否両論もあり、ストーリーとして必要だったのかは分からないが、ごく自然な描写にLGBTをタブー視しない製作サイドの姿勢を感じた。
実は本作で弟として登場するマクレガー(ジャック・ホワイトホール)も、ゲイだ。
ここでもはっきりとした告白はない。
「愛する人は他だった」という遠回しな言葉で、濁らしている。
ジャングルの大冒険にオシャレ道具を積み込むキャラクターとして笑いをとるが、「姉だけが味方だった」という物悲しさも垣間見せ、マクレガーの複雑な立ち位置が作品に奥行きを与えている。
大胆不敵な姉と、臆病者の弟。
そこに絡む頼もしくも謎めいた船長フランク。
それぞれの抱える背景や観念性を知ると、終盤に繰り広げられる展開に感動すら覚える。
超スペクタルな冒険活劇は、大人も子供も楽しめる驚きと興奮のシアタータイムになるはず。
真実が明かされたときの衝撃度がすごかったです!
子供と観たい映画10選≪夏休み企画≫(洋画編)
ステイホームが続き、長い夏休み、時間をもてあましてる子供たちも多いのではないでしょうか。
今回は≪夏休み企画≫と題し、映画好きな私が「親子で楽しめる洋画10選」を紹介したいと思います。
懐かしい80年代の王道作品も含め、洋画の実写デビューに打ってつけな映画を揃えてみました。
キッズアニメを観尽くした子供たちに、ぜひ新たな世界を広げてあげてみてください。
親子で楽しいひとときが過ごせますように。
親子で観たいコメディ映画
ナイト・ミュージアム
「博物館の展示品が夜中に動き出す」という、子供ならではの空想を実現させた痛快コメディは楽しさいっぱい!
骨格恐竜や古代エジプトの王子、モアイ像やはく製にされた動など、ありとあらゆるものが好き放題動くので、博物館内は大荒れ。警備員の主人公が、展示品たちを制御できずに悪戦苦闘する姿が笑えます。博物館の秘密が明らかになると、スリリングな展開に。
本作を観て、博物館の展示品に愛着や興味を持つきっかけになるはず。
2006年製作/108分/アメリカ
実在するアメリカの自然史博物館が舞台になったんだって。広くてびっくりしたよ。
マスク
冴えなかった主人公が緑色のマスクを被ると、一転して超人的な身体能力を持ち、底抜けに明るい魔人に大変身!
心臓や目玉が飛び出たり、宙を飛びまわったかと思えば華麗なダンスを披露し、意中の女性をイチコロに。
ハイスピードで動き回るマスク男をSFXの技術で表現し、視覚的にも大いに楽しめます。
ジム・キャリーの声色や顔変芸も見どころ。心を元気にしてくれるファンタジックなコメディです。
1994年製作/101分/アメリカ
マスクマンが風船で動物を作ったり、銃を作ったりするシーンが面白かった!
当初はホラー映画として製作される予定だったんですって!マスクの出現にどこか不気味さが漂っていました。
ホーム・アローン
大家族で中で、いつも相手にされない末っ子のケビン。クリスマスの日に家族旅行に置いて行かれるなんて、まさにアンビリバボー!
しかし泣きじゃくってる暇はなし!空き巣を狙った泥棒たちがケビンの家に迫ってきます。
家を守るため、次々トラップを仕掛けるいたずら好きなケビンと、ちょっと間抜けな泥棒たちとの掛け合いに大爆笑!
終盤は家族の大切さをメッセージに添え、温かさに包まれます。
1990年製作/103分/アメリカ
隣の家に住む無口な老人が怖かったけど、実はいい人で、ケビンと一緒に泥棒を撃退するところがホッとしたよ。
ホーム・アローン2は鳩おばさんとの交流が感動的でした。ぜひ1年後のクリスマス騒動もセットで観てみてください。
親子で観たいドラマ映画
ワンダー 君は太陽
10歳の主人公オギーは生まれつき顔が変形し、家で過ごす日々を送っていましたが、両親が学校に通わせることを決断。しかし人と違うオギーは好奇の目で見られ、イジメを受けて登校拒否をしてしまいます。
「自分らしく生きるとは?」という率直なテーマを投げかけ、1人1人の個性について考えさせていきます。
文部科学省特別選定作品で、差別のない心を育てる大切さも教えてくれます。
2017年製作/113分/アメリカ
母親がオギーを学校に向かわせるシーンが泣けました。
親子で観たいアドベンチャー映画
ジャックと天空の巨人
児童書「ジャックと豆の木」をベースにしたバトルアドベンチャー。
はたしてこれは物語の続きなのか、真の物語なのか、所々原作とミックスして期待を裏切りません。
人間対巨人の壮絶な戦いも迫力満点です。実写で見る巨人は、生々しくグロテスクでいかにも恐れる存在。人間を食べようとしたり仲間殺しをする性格はどう猛で残忍ですが、抜け感も半端ありません。そのため緊迫した場面でも笑いがこみ上がってきます。
おとぎ話の中で見る風景を見事映像化し、子供の想像力を養ってくれるでしょう。
2013年製作/114分/アメリカ
騎士団長役の人(ユアン・マクレガー)がカッコよくて好きになったよ!
センター・オブ・ジ・アース
「五感でライドする」の映画キャッチフレーズがふさわしく、予測不能の冒険アトラクションを大いに楽しませてくれます。
地底の世界に足を踏み入れると、そこは時を超えた神秘的な風景が広がっていました。しかし見たことのない生物や、太古の生物が存在し、危険と隣り合わせ!
次々と主人公たちにアクシデントが襲い、決死のサバイバルが目まぐるしく展開されていきます。
大人も子供も肩を張らずに、ワクワクと驚愕の嵐を体感しましょう。
2008年製作/92分/アメリカ
巨大な食虫植物がちょっと怖かったよ!
グーニーズ
宝探しや悪党との戦いは、子供の冒険心を大いに掻き立てられます。
レストランの地下から洞窟へ、そして海賊船のある海へと舞台を変えていく壮大感に初めて映画を観る子供たちは、たちまち引き込まれていくでしょう。
冒険をしながら友情や恋、家族の問題について向き合い、少し大人になっていくグーニーズたちの成長も見逃せません。
ストーリーが分かりやすく展開され、誰もがハッピーになれる傑作です。
1985年製作/114分/アメリカ
スピルバーグ監督が、子供たちのために作り上げた世界に思いっきり浸りたいですね。
親子で観たいSF映画
バック・トゥ・ザ・フューチャー
言わずもがな、みんなが愛するタイムマシンの傑作アドベンチャー。子供のころに初めて観たときの感動と興奮は、今の子供たちにも届くはずです。
過去の人たちと出会ってしまったことで、未来を変えそうな危機を必死で乗り越えようとする主人公マーティは、やっぱり我らのヒーロー!混乱と困難の中で見つけ出すアイデアは、スリルや笑い、驚きに溢れています。
未来の伏線を過去で回収していくのも爽快!どの世代にも映画の楽しさを伝えてくれます。
1985年製作/116分/アメリカ
チャッピー
人工知能を搭載されたロボットのチャッピー。チャッピーが少しずつ人間世界を知り、新しいことを覚えていく健気さは、愛おしさを感じていきます。
しかしギャングに誘拐されたことで悪の道へと調教されてしまいます。支配する人間によって性格が変わってしまうロボットの危うさに、心が痛むかも知れません。
そんなロボットと人間の絆を、新たな角度から見つめさせてくれます。
ラストに待つ驚くべき奇跡を、ぜひ親子で味わってください。
2015年製作/120分/アメリカ
E.T.
SF映画の名作なので、子供のうちに観せておきたい作品。
地球に取り残されたE.T.を、宇宙に帰そうと奮闘する少年たちの物語です。
E.T.が初めて姿を見せたシーンはけっこう今も衝撃的。ぎこちない動きで顔を出したときは最初こそ恐怖心を持つかもしれません。しかし観ているうちにやんちゃで無防備なE.T.が可愛く見えてくるから不思議です。
子供たちが秘密を共有したときのスリルと興奮に、テンションが高まります。
自転車が舞い上がる名シーンは、いつまでもほろ苦い感動を心に残していくでしょう。
1982年製作/115分/アメリカ
まとめ
今回は大人にとっては懐かしい80年代の映画もピックアップしました。
映画のグラフィック技術は進化し続けていますが、目が肥えないうちに古い映画の世界を覗いてほしいという願いも込めました。
映画から学ぶことはたくさんあります。映画は本と同じように人生を豊かにしてくれるものだと信じています。
ぜひ感性豊かな子供のうちに、いろいろな時代のいろいろな分野の映画を観させてあげてください。
映画『ホテル・ムンバイ』最高級ホテルで起きたインドのテロ事件の実話
あらすじ
2008年11月、インドを代表する五つ星ホテルが500人以上の宿泊客と従業員を人質にテロリストによって占拠された。宿泊客を逃がすために、プロとしての誇りをかけてホテルに残ったホテルマンたち。部屋に取り残された赤ちゃんを救出するため、決死の覚悟で銃弾の中へと向かう父と母。テロリストたちに支配される極限の状況下で、特殊部隊の到着まで数日という過酷な現実を前に、人々の誇りと愛に満ちあふれた脱出劇が描かれる。
引用元:映画com.
最高級ホテルの惨劇
襲撃事件が起きたタージマハル・ホテルは、これまでアメリカ大統領やイギリス皇室など、多くの著名人が利用してきたインドが誇る最高級ホテルだ。
神殿風な外観や、色鮮やかで豪華絢爛な内装の美しさは目を見張るものがある。流麗な装飾は洗練されて近代的。そして圧倒されるほど壮大な規模で、見ているだけでゴージャス感に酔い痴れてしまう。
映画では大富豪をもてなす様子を映していたが、一般旅行客やビジネス客も利用しているらしい。
安くても1泊2万くらいするが、決して手の届かないクラスでないところがまた魅了される。
そんな楽園のようなホテルで、テロ事件は起きてしまった。
優雅な場所が一転、血の海となる。
ロビーや廊下、階段、客室から銃撃音と悲鳴が飛び交い、惨状化してしまう。
誰かれ構わず銃撃する犯人たちの冷酷さに戦慄が走り、言葉を失う。
本来であれば、すぐに警察や治安部隊が駆けつけるはずだが、事件となったムンバイには数名の警察しかいなかった。
それがさらに惨劇を生むことになる。
結局、1300キロ離れた場所から治安部隊が到着するのを58時間も耐え忍ばなければならなかったのだ…。
インド政府はテロ対策に本気で取り組んでいなかったみたい。この事件前にも何度もインド国内はテロリストに襲撃され、警告されていたようです。
使命感を持って立ち向かう人々
映画の見どころは、極限下においても使命感をもって起こす人々の行動だ。
自分ではない誰かのために立ち向かう姿は勇ましく、心揺さぶられる。
実は犠牲になったのは、ほとんどがホテルマンだったという。
映画では給仕係アルジュンや料理長が、パニックになる宿泊客を安全な場所へと誘導していく勇姿が描かれている。
ホテルマンたちの「お客様は神様」の基本理念が、日本のおもてなし文化と重なる。
正直、インドでもこんな高い理念を掲げて働く人がいたなんて、驚いた。
最高級ホテルは、そこにいるホテルマンたちも最高のホスピタリティと誇りを持って仕事をしていたのかと感心してしまった。
しかしホテルマン以外にも、使命感を持って動き出す人の姿がある。
宿泊客のデイビットは、自分の赤ちゃんとベビーシッターのいる部屋に戻ることを決意する。
一方のベビーシッターは、泣き続ける赤ちゃんを抱えてクローゼットや掃除具入れに身を隠し、耐え続ける。このベビーシッターの窮地には、観ているこちらも息を殺すほど凄まじい緊迫感を感じた。
そして数名しかいない地元警察も、劣勢と知りつつテロリストと戦おうと踏み出していく。
それぞれが捨て身ながらも、誰かを守ろうとした勇気に胸が熱くなりました。
狂信したテロリストたちの素顔
※ここからネタばれ含みます。
テロを起こしたのは、イスラム過激派の少年たちだった。
この映画では、終盤にかけてテロを仕掛けた少年たちの迷いや恐れも垣間見せていくので、複雑な思いに駆られる。
同じ無差別乱射事件を描いた映画『ウトヤ島、7月22日』(2018年ノルウェー)の正体不明な犯人とは異なり、犯人側の声に焦点を向けている。
テロリストの少年たちは「異教徒に奪われたものを取り返す」という復讐心で、凶悪な犯罪を起こした。
恐らく、貧しい環境の中、社会的な不条理を強いられ続けてきたのだろう。彼らの苦しみに耳を傾けたのは、宗教の指導者と名乗る者だけだったのかも知れない。
社会から切り捨てられた少年たちが、誤った信教に導かれていく悲しさを節々で物語る。
しかしテロリストたちが犠牲にしたのは、実はテロリストたちと大差ない不遇な者がいたことを映画は知らしめている。
その1人が、給仕係アルジュンだ。
アルジュンの帰る家は、貧しい集合住宅の一角にある。
華やかなタージマルホテルと対比するように、スラム街で暮らす人々の風景が映し出され、インドの貧富の格差を浮き彫りにする。
そこへ狂信者となってしまったテロリストたちの嘆きが、聞こえてくるような気がした。
今回もお付き合い下さり、ありがとうございました。
「トキワ荘マンガミュージアム」へ行ってきました!
練馬区にある、昨年(2020年)オープンしたばかりの「トキワ荘マンガミュージアム」へ行って来ました。
都営大江戸線の落合南長崎駅から歩いて5分で、アクセス便利な場所にあります。
昭和20年~30年代、手塚治虫、石ノ森章太郎、藤子不二雄、赤塚不二夫など、日本を代表する漫画家たちが住んでいた有名なアパートです。
のどかな商店街を歩いていくと、すぐに見えてくる看板。
2階建ての木造アパートは、実際の図面はなかったため、当時の写真を参考に再現して作られたようです。
急な階段を上がっていくと、9室の部屋が並んでいます。
トイレとキッチンは共同となっており、お風呂はありません。
漫画家さんの部屋が再現された部屋。
6畳もない部屋ですが、窓がわりと大きく居心地は悪くなさそうです。
他に町の歴史を紹介するパネルや模型展示、また原稿を描く行程の映像を見る部屋もありました。
当時はすべて手作業だったので、デッサンからペン入れ、ベタぬりやスクリーントーン貼りなど、1ページ1ページ緻密な作業を積み重ねて出来上がっていく様子を見ることができます。
漫画の描き方映像を見て、漫画の見方が少し変わったよ
1階では、手塚治虫先生の特別企画展が開催されていました。
中は撮影NGのためアップできませんが、貴重な生原稿を見ることができました。
また手塚治虫先生が売れっ子漫画家になるまでのエピソードも紹介され、興味深い展示品が数多くありました。
大阪で漫画家デビューを果たしたあと、東京へ上京して自分で出版社に売り込みに行ったんですって。
トキワ荘前にある南長崎花咲公園は、小さな子供たちの憩いの場となっています。
その一角にトキワ荘に住んでいた漫画家たちのモニュメントがありました。
個性豊かな自画像が描かれています。
トキワ荘から歩いて5分ほど先にある「トキワ荘マンガステーション」。
ここではトキワ荘関連の本が約6000冊置いてあり、無料で読むことができます。
「ドラえもん」の漫画全巻があって止まらなかった!
雑誌「漫画少年」も手に取ることができて感動したわ。
マンガステーションからすぐ近くにある「トキワ荘通り お休み処」。
1階はトキワ荘関連のミュージアムショップになっており、キーホルダーやしおり、文具などが並んでいました。
2階はトキワ荘時代に住んでいた寺田ヒロオ先生の部屋を再現しています。
感染防止対策で今回は利用できなかったけど、畳の上で漫画を読めるスペースがあったよ。
手塚治虫先生はやっぱり天才!
今回は漫画大好きな娘の学習目的をかねて、「トキワ荘」に足を運んでみました。
トキワ荘に入ると、まるでタイプスリップしたかのように昭和の懐かしい空気を感じることができました。
リアルに再現された部屋からは、貧しいながらも夢に邁進した漫画家たちの労苦がしのばれます。
特に手塚治虫先生が漫画家と医学生を両立させながら、医師免許と医学博士号を取ったエピソードには何よりも驚きました。
どちらも相当の時間を費やさなければ果たせない夢ですから、寝る暇もないほど忙しく机に向かっていたのでしょうね。
漫画家として成功しても次々と連載を抱え、さらなる上を目指していったようです。
そんな手塚治虫先生も、スランプ時はマルさえ書けなくなったこともあったんだって!
漫画の神様も努力の積み重ねの日々だったのね。
現状に満足せず、目標を持ち続けることが大切だと学んだわ。
今回もお付き合い下さり、ありがとうございました。
映画『ヒトラーの忘れもの』戦後の悲劇を描いた実話
あらすじ
第2次世界大戦後、デンマークの海岸沿いに残された無数の地雷を撤去するため、元ナチス・ドイツの少年兵たちが連れて来られる。彼らを指揮するデンマーク人軍曹はナチスに激しい憎しみを抱きながらも、無垢な少年たちが次々と命を落とすのを見て良心の呵責にさいなまれるようになっていく。
引用元:映画com.
デンマークで封印された実話
実は自国民でさえ知られざる歴史で、本作をきっかけに初めて紐解かれたという。
今では「世界一幸せな国」とも言われるデンマーク国にとって、もしかしたら触れられたくない黒歴史なのかもしれないと思った。
第二次世界大戦のさ中。
ナチスが米英軍の侵攻を防ぐために、デンマークの海岸に地雷を設置。その数は数十万個にものぼり、終戦後にデンマーク政府は撤去作業を命じたという。
駆り出されたのは捕虜となっていたドイツ兵で、大半は若い者たちだった。
映画では14人の少年兵が集められ、過酷な強制労働の実態を見せていく。
中には13歳の幼い少年兵もいた。
終戦後に自国の犯した罪を償うのは当然のことなのか、静かに疑問を投げかけてくる。
邦題はポップだけど、内容は重厚で、改めて戦争の過ちを見つめさせています。
犠牲になった少年兵
少年兵たちがどのような経緯でそこに辿り着いたかは分からない。
ユダヤ人迫害に加担し、民間人をも犠牲にしてきた者もいるかも知れない。根深い差別主義と愛国心を植え付けられ、軍へ志願してきた者もいるだろう。
その背景は良くも悪くも想像できるが、不安と恐れで脅える少年兵たちに胸が痛む。
彼らが背負う運命は、あまりに酷すぎると思った。
まともな訓練もないまま、いきなり1人で本物の地雷とを向き合わなければならない。一瞬の過ちが命取りとなって自爆してしまう。その恐怖は、常に銃口を突き付けられているのと同じではないかと思う。
また食事や水も与えられず、家畜の餌で飢えをしのぐほど追い込まれてしまう。
寝床は粗末な小屋に襲込められ、脱走しないよう鍵がかけられる。
逆らうことのできない者たちに、野蛮を働く人々の姿。
勝者と敗者が入れ替っても、終わらない悲劇を物語り愕然とする。
ラスムスン軍曹の中にみる救い
※ここからネタばれ含みます。
地雷撤去の現場を指揮したのは、デンマーク軍のラスムスン軍曹。
彼の憎しみは深い。
敗戦で撤退するドイツ兵とすれ違えば、暴力と暴言を浴びせる。オープニングで観るそのヒステリックな姿は、異常さを感じなくもない。
彼からすれば少年兵だろうが憎むべきドイツ国民で、少年たちが地雷で犠牲になろうが、餓死しようが容赦しない怒りが伝わってくる。
しかし彼らの心の叫びを聞いたとき、ラスムスン軍曹に少しずつ変化が現われる。
これが本作の最大の見どころだ。
迷いながらも、ラスムスン軍曹は地雷で犠牲になった者に手当てを受けさせ、悲しむ少年兵を励ます。また大量のパンを入手し、休暇日も与える。
ラスムスン軍曹と少年兵の過ごす安息の時間が眩しく、それが一層その後に待ち受ける現実を絶望へと落とし込んでいく。
誰もがドイツ軍を悪とみなし、復讐心に燃えていた時代。
しかし目の前にいるのは弱き敵で、自分たちと同じように祖国や家族を想い、小さな希望を持って生きている。
赦すことは自分を欺き、同胞を裏切ることなのだろうか。真の敵とはいったい誰なのだろうか。
ラスムスン軍曹の最後に起こす行動が、一筋の救いを見たように思った。
監督はデンマーク出身のマーチン・サントフリート。自国の史実をしっかり見つめて問題提起した姿勢がスゴイと思いました。
今回もお付き合い下さり、ありがとうございました。
映画『ニュー・シネマ・パラダイス』は今も映画館に光を灯す
あらすじ
映画監督として成功をおさめたサルバトーレのもとに、老いたアルフレードの死の知らせが届く。彼の脳裏に、「トト」と呼ばれた少年時代や多くの時間を過ごした「パラダイス座」、映写技師アルフレードとの友情がよみがえってくる。シチリアの小さな村の映画館を舞台に、映画に魅せられたサルバトーレの少年から中年に至るまでの人生を3人の役者が演じる。アカデミー外国語映画賞やカンヌ映画祭審査員特別グランプリなど、各国で賞賛を浴びた。
引用元:映画com.
映画は魔法そのもの
今も世代を超えて愛されている本作。
映画好きの人は「これだけは観た方がいい映画」の1つとして挙げる人も多いのではないかと思う。
1950年代。
イタリアの小さな村に誕生した映画館『パラダイス座』。
娯楽のなかった村人たちが、たちまち映画に魅了されていく様子が楽しく映り込む。
映画館を訪れた人々は見たことのない世界に興奮し、銀幕スターたちの人生を疑似体験していく。驚きや笑い、スリルや感動の渦に巻き込まれ、特別な時間を共有する。
映画館は、自分でない誰かになれる場所だ。
世代や人種、性別を超え、ドラマティックな人生を旅する。
時には怒りや悲劇を味わうが、ひそかに見ていた夢や愛を実現することもある。決して日常では知ることのできなかった感情に目覚め、観る者の心を豊かさに彩ってくれる。
そうやって映画は、人の心に哀しみや喜びを仕掛ける。
まさに魔法そのものだ。
フィルムを回す映画技師アルフレードを、
少年トトは魔術師のように見えたかもしれないわ
アルフレードの込められた想い
トトが目をキラキラ輝かせてスクリーンや映写機を眺める姿は、自分が初めて映画で感動したときの喜びを思い出す。
それは人によっては映画でなく、子供のころ夢中になった「昆虫」や「電車」あるいは「本」かも知れない。好きなものを見つけ、その世界に没頭した子供時代を、本作は優しく思い起こさせてくれる。
人は大人になるにつれ、人生の行き止まりが見えてくる。
トトも同じだった。
そんなときアルフレードの「自分のすることを愛せ」と言う言葉が胸に突き刺さってくる。
火事で視力を失ったアルフレードは、夢から切り離されてしまった。
恐らく、村の誰よりも映画を愛してきただろう。
もう彼は映画の仕事をすることも、映画を観ることもかなわない。そんな運命を受け入れながらも滲み出る怒りや悔しさを、トトに向けたようにも思う。
旅立ちの駅で「帰ってくるな」とアルフレードは言う。
別れの言葉は思いのほか厳しく突き放すもので、トトを苦しませただろう。本当は「道に迷ったら帰ってこい」と言ってくれた方が、ずっと楽だったと思う。
アルフレードとトトのそれぞれの抱える想いが、切なく交差する。
帰る道をなくしたトトは、その後、確固たる信念で目指す道を歩き夢を叶えた。
アルフレードとの約束が背中を押していたのは言うまでもない。
それでも名だたる有名監督になっても、トトは何故か幸せそうに見えなかった。
故郷に一度も帰ることもなく、
30年の月日が流れてしまうのよね・・・
見事なラストシーン
※ここからネタばれが含まれます。
ラストシーンは、映画史に残る名場面だ。
アルフレードが唯一トトに残した形見のフィルム。
それは切り取り繋ぎ合わされたフィルムだった。スクリーンに投影したのは、昔恋した女性エレナの映像と、映画の数々のキスシーンだった。
積み上がった想いにあふれ、トトは笑いながら涙を流す。
きっとトトは、もっとアルフレードと一緒にいたかったのだろう。これまで通り、夢を追いながら助言者として見守っていてほしかった。ときどき故郷の村で懐かしい人たちに囲まれ、悩みや喜びも分かち合いたかったのだと思う。
しかしそれはアルフレードも同じだったことを、トトは知る。
本当はいつでも自分に戻れる場所があったことに気付く。
2人だけの思い出。
眩しい時間が、よみがえってくる。
トトはようやく、愛した世界で生きる自分を誇れたように見えた。
見事なラストシーンは、観る者の心も解き放してくれた。
そこに盛り立てる、エンリオ・モリコーネの音楽もたまらない。
多くを語らない映像の中に哀愁を深め、憎いほど泣かせてくれる。
本作は1989年の単館映画館「シネスイッチ銀座」で初めて上映され、その後のミニシアターブームのきっかけとなった。
今も多くの劇場で何度も再上映され、訪れる人々への贈り物として映画館に光を灯し続けているように思う。
今回もお付き合い下さり、ありがとうございました。
映画『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』トムとブラピの夢の共演
あらすじ
18世紀末の米ニューオリンズ。フランス移民のルイ(ブラッド・ピット)は当時25歳。最愛の妻と娘を亡くして絶望する彼に、美貌の吸血鬼レスタト(トム・クルーズ)が近づく。彼は、繊細な魂のルイに興味を覚え、永遠の命を共にする伴侶として彼を選ぶ。間もなく吸血鬼となったルイだが、大胆で冷酷なレスタトとは対照的に、他人の命を奪って生きることに耐えられなかった。
引用元:映画com.
トム・クルーズとブラッド・ピットの夢の共演!
この映画はキャスティング問題で、公開前から曰くつきの映画だった。
原作者アン・ライスが、レスタト役を演じるトム・クルーズに拒否反応を起こしたのだ。読者ファンも同調して反対運動まで起こし、映画は制作の危機にあった。
無理もない。
この物語で登場するヴァンパイア・レスタトは、長身で青白く、神秘的な美しさを兼ねそろえている。ヴァンパイアという退廃的な生き者像は、さわやかで健康的なイメージを持つトム・クルーズとは相反していた。
誰がこんなに、トム・クルーズが化けることを予想できただろうか。
役作りのために減量し、病的な風貌となった彼は、危険な色気を放った。これまでのイメージを完全に払拭させ、完璧なレスタト像を演じ上げたのだ。
反対していた原作者や読者からは大絶賛され、そこにトム・クルーズの並ならぬ意地が伺える。
一方、ブラッド・ピットはどうか。
実は「自殺ばかり考えているルイ役にうんざりしていた」と、インタビューで語っている。
自分の役柄に愛着を持つのが役者だと思うが、この役に関しては極めて否定的な発言をしている。
ブラッド・ピットの出世作と言えば『テルマ&ルイーズ』だ。無名だった彼を一気に表舞台に押し上げるきっかけとなった。
しかし本作でトム・クルーズというスーパースターとの共演で、さらに知名度を加速させたのは言うまでもない。
今では信じられない2大トップスターの夢の共演。
しかし、恐らく2人とも二度と演じたくない役柄ではないかと思う。
彼らはこの映画について語りたがらないし、続編のオファーも断っている。
今更ヴァンパイア役を引き受けることもないだろうし、そもそも共演も望んでいないだろう。お互いについて語る姿を見たこともない。
ファンとしては至極残念だが、本作を幻の映画として心にとどめるのに満足しようと思う。
アントニオ・バンデラスやキルティン・ダンスト、クリスチャン・スレイターも出演していて、すごく豪華な顔ぶれ。急死したリヴァー・フェニックスは、インタビュアー役を演じる予定だったのよね。
確立したヴァンパイア像
原作者アン・ライスは私生活で5歳の娘を病気で亡くしてから、取り憑かれたように「ヴァンパイアシリーズ」を書き始めたそうだ。
死人が蘇るという不老不死の存在に、救いを見出そうとしていたのだろうか。
ストーリーの中で登場人物たちは何度も生きることや、死ぬことを見つめている。
そんなアン・ライスの描くヴァンパイア像には、確立したものがある。
・十字架・ニンニクは苦手でない。
・日光を浴びると燃えてしまう。
・火に弱い。
・灰にならない限り、身体が損傷しても時間をかけて再生する。
・人間ではなく、動物の生き血で飢えをしのぐことができる。
・ヴァンパイアに生まれ変わるとき、生きているときの「死」を味わなければならない。そのため、かなりの苦痛を強いられる。
・ヴァンパイアになると、ヴァンパイアになる直前の体形・髪をそのまま維持する。
・読唇術がある。
・生き物を吸血するときは、心臓が止まる前に辞めないと自分も道連れにされてしまう。
・映画のルイは200年近く生きているが、中には1000年近く生きている高齢のヴァンパイアがいる。
・高齢であればあるほど力が強く、宙を飛ぶこともできる。
・同族を殺したものには、罰がある。
これ以外にも、アン・ライスの徹底したアイデンティティが盛り込まれている。
決してゴシックホラーを神話化せず、現代世界と融合させることで一つの種族として実際に存在するかのような説得感を与えてくる。
BLを匂わすヴァンパイア同士の関係
映画も原作も、実はボーイズ・ラブのような空気が漂っている。
しかしそちら方向には流れず、あくまでそれっぽい雰囲気を押し出し、観る者に委ねている。
何世紀も生きるレスタトは、共に生きるパートナーとしてルイを選んだ。
ビジュアルはもちろんのこと、絶望を抱えて生きるルイの繊細な性格に魅力を感じたのだろう。しかし従順なパートナーになることはなかった。
ルイはいつまでも人間的な心を失わず、人を殺めて生きる運命に苦悩し続けたのだ。その思想はヴァンパイア界では異質だったが、アントニオ・バンデラス演じるアルマンも、ルイに固執してしまう。
恐らくレスタトもアルマンも、ルイの中に人間だった頃の自分を見い出し、純潔なものを感じたのかも知れない。
秘めたる想いの中に憎悪が絡み、悲劇が起きる。
このどうしようもない背徳感が何故か美しく、胸に突き刺さっていく。
映画のレスタトは傲慢で卑劣だが、実は原作のレスタトは「悪人の血しか吸わない」主義を持っている。
好奇心旺盛で奔放な性格だが、家族や友人に愛情深いところもあり、師に対しては非常に礼儀正しい。そしてよく笑い、よく泣く魅力的なキャラクターなのだ。
ルイはその後どうなったのか。
相変わらず群れを遠ざけ、1人本に囲まれた家で暮らしている。
レスタトとときどき再会を果たす(レスタトが訪ねる)が、相変わらず拒絶している様子だ。それでもレスタトが窮地に立つと、どこからともなく手を差し伸べることもある。
この複雑な関係を何世紀も続けているのが興味深い。
アン・ライスの描く世界は、映画だけでなく原作も耽美で官能的だ。
ここでしか味わえない濃密なストーリーに、いつまでも陶酔していたくなる。
来年アメリカで続編がドラマ配信されるんだって!
楽しみすぎる~!
今回もお付き合い下さり、ありがとうございました。
映画『Fukushima 50』観ているのが辛くなる原発事故を描いた作品
あらすじ
2011年3月11日午後2時46分、マグニチュード9.0、最大震度7という日本の観測史上最大となる地震が起こり、太平洋沿岸に押し寄せた巨大津波に飲み込まれた福島第一原発は全電源を喪失する。このままでは原子炉の冷却装置が動かず、炉心溶融(メルトダウン)によって想像を絶する被害がもたらされることは明らかで、それを防ごうと、伊崎利夫をはじめとする現場作業員や所長の吉田昌郎らは奔走するが……。
引用元:映画com
想像より過酷だった原発事故の実態
ここまで映画で心を痛めたことはなかった。ストーリーが進むにつれ、焦燥感に駆られていく自分がいた。
映画は冒頭から、巨大地震が起きた現場を凄まじい空気で見せていく。
難しい専門用語が怒号のように飛び交い、何が起きているのか詳細は分からない。
しかし作業員たちの様相から、最悪な事態が起きていることがはっきりと伝わる。
どんどん上昇していく放射線量に打つ手がなく、やがて起きてしまう原発の水素爆発事故。
当時ニュースで何度も目にした、あの映像が飛び込んでくる。
その事故がどれほどの深刻度だったのか、当時の私は分からなかった。
まさか東日本が壊滅の危機にあったなんて、そこまで想像していなかった。
本作を観て、改めてセンセーショナルな事実を突き付けられ、打ちのめされた。
核燃料を冷やすため、作業員たちが高い放射線量の中に向かう場面は特に辛い。
2号機爆発時に発電所内に留まった作業員たちの姿も、やはり辛かった。
目に見えない恐怖に晒され、家族を想い立ち向かった彼らの心情は、どれほどのものだったのか。
堪えきれない感情が溢れてくる。
映画で向き合うには、あまりに辛すぎる内容だった。
終息していない問題を改めて見つめる
福島原発事故は、日本人誰もが目を伏せていたかった出来事ではないかと思う。
私たちに恩恵をもたらしてくれたエネルギーが、突如として悪魔と化し、制御不能となってしまったこと。
放射線量をまき散らし、今も安全だと言えない事実があること。
解決されていない汚染水問題。
そして線量の多い危険な場所で、今も作業する人たちがいるということ…。
3.11は、まだ終わっていない。戦い続けている人たちがいる。
以前読んだ、竜田一人さんの漫画『いちえふ 福島第一原子力発電所労働記』を思い出す。
原発事故後、除染作業や廃炉現場を作業員の目から描いたノンフィクション漫画だ。
決してメディアが報じない過酷な作業や、劣悪な環境をリアルに描いている。
読んだときは衝撃だった。
この映画と合わせて見ると、今も終息していない問題に愕然としてしまう。
現場を知れば知るほど、苦しくなる。
しかし遠ざけてはいけない問題であることを、しっかりと打ち出している。
地元民が愛した景色に思う
映画で佐野史郎演じる総理像には違和感が残った。
視察に行った総理が現場に混乱を招き、作業の遅れの要因となったように描かれていた。ヒステリックな演技も悪意的に見える。
当時の政治批判が含まれていのるかと思った。
それでも映画の中で総理は、退避しようとする東電社員に「私も原発に向かう」と公言した姿勢を見逃してはいけないと思った。
あの総理の恫喝で、何かを変えたものがあるように思えてならなかった。
この映画を、娯楽映画として観るのは難しい。
フィクションとしているが、実在する吉田所長を映画に押し込んでいるため、ドキュメンタリー色の強い作品となっていると思う。
ラストシーンとなった満開の桜並木が印象的だ。
恐ろしい出来事があったのに、桜は変わらず春を告げている。
切り取られた美しい風景に、故郷を愛する人々を思い泣けてきた。
この場所は帰還困難区域に指定されているが、映画撮影後に一部解除されたらしい。少しだけホット情報を得て、心が楽になった。
今回もお付き合い下さり、ありがとうございました。
映画『ア・ゴースト・ストーリー』思わず泣けるホラーファンタジー
引用元:映画com.
あらすじ
田舎町の一軒家で若い夫婦が幸せに暮らしてたが、ある日夫が交通事故に遭い、突然の死を迎える。病院で夫の死体を確認した妻は、遺体にシーツを被せて病院をあとにする。しかし、死んだはずの夫はシーツを被った状態の幽霊となり、妻が待つ自宅へと戻ってきてしまう。
引用元:映画.com
作り込まれた世界観に酔う
引用元:映画com.
ときどきホラー映画の中に、やたら泣けてしまう作品がある。
『シックス・センス』や『アザーズ』『ダークウォーター』がその1つだ。
霊は憎悪や哀しみに満ちている。ラストに辿り着く彼らの答えは観念的で、途方に暮れてしまうものが多い。それでも染みわたる感動を静かに感じる。
『ア・ゴースト・ストーリー』も、観終えたあと、泣いている自分がいた。
何とも感慨深いホラーファンタジーだ。
シーツを被ったゴーストは奇妙だが、叙情的な風景に溶け込んでいる。
生きている者と死んだ者の越えられない境界線。そこに立ち込める虚無感。
傍観するゴーストと一緒に、観る者は悠久の時間を旅する。
その見事に作り込まれたアートな世界に圧倒されつつ、最後は救われるものを感じた。
シーツを被ったゴースト像
引用元:映画com.
シーツを被ったゴーストのタイトル画像は、ひと目で好奇心をそそられる。
可愛くて、奇妙で、少し不気味。
子どもが幽霊ごっこをしている1シーンを想像し、コメディかと思った。
こんな大胆な形でゴーストを表現したことに感服する。
知るところによれば、宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』のカオナシからヒントを得たらしい。
カオナシと言えば、数あるキャラクターが登場する中、ひと際悲壮感を漂わせていたのを思い出す。
表情が一定で言葉を発せず、儚げで、いつの間にか消えてしまったオバケ。
確かに本作のシーツゴーストとよく似ている。
突如として怒り狂い、観る者を置き去りにする変貌ぶりまで共通している。
これは1つの映像詩だ。
読み解けないものを映画に送り込むことで、それぞれのパーソナルな思想が交差していく。ゆっくり丁寧に、込められた想いを巡らすのだ。
こんな哀愁漂う仕掛けがうまい。
そしていつのまにかカオナシ同様、シーツゴーストに不思議な魅力を感じていく自分に驚く。
改めて考えさせられる死生観
引用元:映画com.
シーツゴーストは病院から妻のいる家に戻り、彼女をじっと見守る。
夫の死で自暴自棄となる彼女にアクションを起こすことも、メッセージを送ることもない。ただ、そこに佇んでいる。
家を立ち去る妻を、追うこともなかった。
シーツゴーストが思い出の根付く場所に留まったことに、情緒的な深さを感じる。
生きている人間は、流れゆく時間を刹那的に生きている。
そう、私たち生きている人間は「時間」の中に閉じ込められているのだと思う。
しかしゴーストにとって時間は意味をなさず、生前の想いの中に存在している。
やがて家に新しい住民が現われては去り、時空を超えた世界が映し出される。
死んだらどうなるか、答えを知る者はいない。
私の中では、人は死ぬと『インター・ステラー』で描かれた五次元の世界に放り込まれるのではないかと思っているので、このストーリーの展開に妙なカタルシスを感じた。
とてもマニアックながらも秀逸で、いつまでも心に残り続ける1本となった。
今回もお付き合い下さり、ありがとうございました。
A GHOST STORY / ア・ゴースト・ストーリー(字幕版)
ゾンビ映画『クレイジーズ 42日後』自宅サバイバルがリアル!
あらすじ
人間を凶暴化させるウィルスが蔓延した世界を描くサバイバルアクション。ある朝、ロサンゼルスのアパートに住むエイデンが目を覚ますと、テレビに緊急放送の文字が並んでいた。外では人々が逃げ惑い、近くにヘリが墜落。やがてアナウンサーが、あるウイルスの発生を告げる。感染者は目から血を流し、叫び、人を襲うのだという。そしてウイルス発生から42日後、エイデンはついに、感染者が蔓延る外の世界へと足を踏み出すが……。
引用元:映画com.
ステイホームとリンクした自宅サバイバル
かつてはスプラッターホラーとしてB級路線を呈していたゾンビ映画だが、今や1つの枠組みとしてジャンルを確立させている。
これまで『28日後』『バイオ・ハザード』『アイ・アム・レジェンド』『ワールド・ウォーZ』など、多くのヒット作も誕生してきた。
ゾンビ映画と言っても作品ごと全くテイストの異なる世界を作り出し、極限状態で起きるサバイバルや人間ドラマ、壮大なスケール感が見どころとなって人気を集めるようになってきた。
そして本作。
これがまた異色な視点で描かれ、面白かった。
ゾンビサバイバルの中では、仲間との連帯感や、生き残りを懸けて炙り出されていく人間の本質を見せてくれるが、今回は1人自宅避難する男のサバイバルが描かれている。
世界が一変した日から感染者に脅え、孤独と向き合う主人公エイデン。
映画制作はコロナ禍以前だが、その姿はまるでステイホームを強いられた2020年とリンクし、エイデンの心情に、より寄り添うことができる。
もし本当に脅威のウイルスが蔓延る世となれば、自分もエイデンのように自宅にこもることだろう。
映画の中では、生存者が食料を求め外へと繰り出だすが、実際そんな勇気を持ち合わせている人は少ないと思う。
だからこそエイデンのとる言動は観る者と一体化させ、これまでにないゾンビ映画のリアルさを追及している。
世界の終末を1人で迎える恐怖と絶望
ときどき流れるテレビのニュース以外、外部から遮断された生活。
電話もネットも通じず、家族の安否を知る術もなく、「世界の終末」を1人自宅で迎えることの絶望感がエイデンに迫る。
ライフラインが閉ざされ、安全なはずの自宅には浴室天井やベランダからゾンビが侵入するという、逃げ場のない恐怖が増大していく。
そう、今回のゾンビは、「走る・ジャンプする・喋る」の進化系ゾンビだ。
恐らく『アイ・アム・レジェンド』辺りから走るゾンビが出現したが、今回はこの「喋る」がやたら不気味極まりない。
ブツブツ呟いたり、悪態を付いたり…。
まさに絶体絶命の日々。
感染するのが先か、正気を失うのが先か。
42日目のエイデンの決断、私にはよく理解できた。
物事は好転することはなく、待つのは「死」のみ。
人は1人で生きることはできない。
自分が大切に想う人、自分を大切に想ってくれる人、気にかけてくれる誰かの存在なくして、生きる意味はどこにあるのだろう。
エイデンの過酷さを観て、人とのつながりが生きる希望を見せてくれているのだと感じた。
ロマンスが起こしたアクション活劇
そんな絶望の淵にいたエイデンに、突如奇跡が起こる。
向かいのマンションのベランダで、エイデンと同じように避難する女性エヴァ。
彼女の存在を知ったエイデンは、これまでの意気地のないキャラから一転し、勇敢なサバイバルを仕掛けていく。
エヴァのSOSに応えるため、かなりの無茶ぶりを発揮する。
エヴァの部屋に行こうとするゾンビを大声で呼び寄せたり、死んでいるゾンビから鍵を奪ったり、別の住人の部屋に侵入したり。
前半の忍び寄る静かな恐怖とは打って変わり、怒涛のアクション活劇が展開される。
「守るべき者」や「仲間」を見つけたとき、人はこんなにも最強なポジティブ思考へと変わっていくものかと、感嘆するほどだった。
未知のウイルスとの戦いを、自宅で乗り切ろうとする男の物語。
まさにコロナ禍の今だからこそ、絵空事ではないリアルさを訴えかけているように思った。
今回はゾンビ映画で観られる残酷描写が少ないので、ゾンビジャンルが苦手な人も見やすい1本になっていると思う。
今回もお付き合い下さり、ありがとうございました。
映画『アンチ・ライフ』シリアスだけど爆笑しちゃうSFホラー
最近のブルース・ウィリスはいったいどうしたんだろう!?出演映画は日本劇場未公開作品が続き、興行収入もいまひとつ。
ハリウッド界ではトップ10に入るほどのヒットメーカーですが、どうしようもない作品に出演してしまうこともしばしある。
それでも観たい映画がないとき、ブルース・ウィルスの名前がクレジットに並べば、つい観てしまうのは映画ファンの性というものだろうか。
今回も「してやられれた」!
あらすじ
西暦2242年。謎のウィルスの流行によって地球は滅亡の危機に陥り、選ばれた5000人の富裕層がニューアースへと避難を開始する。元軍人や現役兵士たちが管理する宇宙船にどうにか潜り込んだノアは、元軍人クレイの下で働くことに。やがて船内で殺人事件が発生するが、その現場はどう見ても人間の手によるものではなかった。正体不明の恐ろしい生命体と、人類存亡をかけて死闘を繰り広げるクレイたちだったが……。
引用元:映画com.
注意!覚悟して観るべし作品
ブルース・ウィルスのSF代表作と言えば、世界で大ヒットした『アルマゲドン』。
地球を救うべく、男たちが宇宙に旅立って小惑星を破壊するという何とも感動的な物語だった。でも任務遂行したのは宇宙飛行士ではなく、石油採掘業者。
違和感のある設定は忘れもしにない。
それでも娯楽大作を得意とするマイケル・ベイ監督の手腕と、エアロスミスの音楽が、あの感傷的なムードを盛り立て大ヒットに繋げたことを思い出す。
たとえ多少無茶な脚本でも、作り方次第で名作にもなり得るのが映画だ。
しかし、無茶な脚本の上に制作サイドの脇が甘ければ、不愉快に感じるほどのとんでもない駄作が生まれるのもまた事実…。
それがSF映画となれば、目も当てられない。
今回の映画は不愉快とまではいかないが、あらすじや予告で期待値を上げてしまうと、相当の肩透かしを食らうことになる。
杜撰すぎる設定やセット
本作品は設定こそ『アルマゲドン』を超越するような地球危機にあり、新しい星への移住を描いたスケールの大きい設定になっている。
時代も2242年。今から220年後の地球人が主人公。
巨大宇宙船が舞台なだけに、どんなスペクタル映像が観られるか心躍る。
しかし早々と違和感が生まれいく。
まず宇宙へ飛び立った船内。何と、無重力ではない。
220年後なのだから無重力を操れる技術があるのかもと解釈したのもつかの間、ビルの一室のようなチープな船内が広がる。
乗組員たちのベッドは簡素すぎるし、食事も生活も現代人と何ら変わらない。
そもそも未来人が、普通にトイレ掃除をしているのはどうなんだろう。
トイレこそ技術が進化してそうだが…。
刑務所の中の出来事かと思うほど船内は暗く汚く、登場人物たちも下世話。
そしてブルース・ウィルスは、何故か酒の密造をしている。
密造の中身は、何百倍も希釈しなければ使えない危険な化学薬品。この辺りでいろいろと察してしまう人も多いだろう。
(唯一楽しい?ネタばれにつながるので、これ以上触れないようにする)
船内で次々と謎のウイルスに感染した人間がゾンビ化し、死闘を繰り広げていく。
私がさらに気になったのは、SFホラーという衝撃映画であるはずなのに音楽が少なく、それ故とても静かな印象を持ってしまったこと。
銃撃や悲鳴は激しくも、盛り立てる音楽がない。
音楽まで手を抜いてしまうとは…。
最後にブルース・ウイルスがキーボードを叩くシーンがあるが、おもちゃのようなキーボードで、しかもガタガタしていて、思わず爆笑してしまった。
観た者にしか味わえない体験
有名スターが出演しているにもかかわらず、稀に見るひどい映画だった。
ある意味忘れられない1本になったのは確かだ。
しかしながら、アメリカでは2020年12月にしっかりと劇場公開されているし、日本でも2021年1月に公開されている。
本来であればお蔵入りするような出来栄えだが、コロナ禍だからこそ劇場公開できたのだと推測する。
本当に集客が見込める作品であれば、コロナ禍での公開は見送られただろうから。
とりあえずブルース・ウィルスの知名度で、大勝負を懸けた配給会社の苦渋の決断を感じずにはいられなかった。
そんな伝説的な映画だが、観た者にしか味わえない体験がある。
220年後の未来、巨大宇宙船、謎のウイルス、不気味な生命体、ほんの数滴ですべてを溶かしてしまう化学薬品、そして大物ブルース・ウィルス。
観客の好奇心をかき集めた設定は大成功だと思う。
そして思いっきり高く上げたハードルを一気に下降させる荒唐無稽さに、静かな快感を覚えた。
大真面目に演じる出演者たちが喜劇王に見え、シリアスな状況がやたら笑える。
このやりたい放題の世界を観終えたとき、心が大きくなっているのを感じるのではないだろうか。
ぜひ爆笑ポイントをたくさん見つけて、楽しんでほしいと思う。
今回もお付き合い下さり、ありがとうございました。
映画『ストックホルム・ケース』犯人と人質の愛を描いた実話
久しぶりイーサン・ホークの新作映画を観れました。
制作は2018年ですが、日本劇場公開は2020年11月。
コロナ禍でハリウッドの新作映画の公開が少なくなっている中、ここにきてイーサン・ホークの新作が観れるのはファンとしてギフトをもらった気分です。
あらすじ
何をやっても上手くいかない悪党のラースは、自由の国アメリカに逃れるためストックホルムの銀行に強盗に入る。ビアンカという女性を含む3人を人質に取り、刑務所に収監されていた仲間のグンナーを釈放させることに成功したラースは、続けて人質と交換に金と逃走車を要求。しかし、警察が彼らを銀行の中に封じ込める作戦に出たことで事態は長期化。次第に犯人と人質の関係だったラースとビアンカたちの間に、不思議な共感が芽生え始めていく。
引用元:映画com.
悪になりきれいない強盗犯
舞台となったのは1973年、ストックホルムの巨大銀行。
人質が犯人に協力的になるという「ストックホルム症候群」の語源を生み出した実際の事件を描いています。
銀行強盗と人質立てこもりを企てたアメリカ人のラース(イーサン・ホーク)。
その犯行は鮮やかというよりは、場当たり的なやり口でドタバタ感満載です。
ラースなりに武器を用意して計画してきたはずですが、人の行動を読む洞察力や冷静さが欠けているせいで、思わぬ展開にいちいち挙動不審になります。
このラースの小心者ぶりが始終コミカルな空気が漂わせ、シリアスな状況下でも笑いが込み上がってきます。
そもそも彼は人を傷付ける気はさらさらありません。
事件発生時、発砲してきた警察に「女が死んだらどうする!?」と人質の心配をして激昂します。冒頭ですぐ様、彼が真の犯罪者になり切れていないことが分かります。
犯行も隙だらけで、もっと警戒した方がいいのでは?と思いながら行く末を見守る私も、早くからこの犯人に好感を持ってしまいました。
配役がイーサン・ホークという説得感
こんな弾けたイーサン・ホークは観たことがない。
最近の出演映画『ブルーに生まれて』や『魂のゆくえ』など、重苦しい役柄が続いていましたが、本作では「らしからぬ」演技を全開させています。
長髪にちょび髭、カウボーイハットに革ジャンとウエスタンブーツ、そしてサングラスというオールディーズ風のいで立ち。まるで取ってつけたような違和感のあるスタイルですが、それでもおしゃれに見えてしまう不思議。
また奇声を上げて自画自賛するなど、喜怒哀楽激しいイーサン・ホークの姿に愛嬌を感じてしまいます。
いつもの繊細で、哀愁漂う雰囲気はどこへやら。
何故、人質が犯人に加担したのか、それはイーサン・ホークだから。
この言葉に尽きてしまいます。
初老感は出てきましたが、整った顔立ちと醸し出す色気はやっぱり魅力的です。
そう、この映画は「ストックホルム症候群」というより、犯人と人質の愛のドラマに仕上がっています。
それ故、配役ですでに人質ビアンカの揺れる心を説得しているように思えます。
だって強盗として入ってきたのが、イーサン・ホークですよ。おかしな変装も、人情味あふれる素顔も満点すぎです。
クローズドサークル作品で見られる心情変化
本作を観て、2015年のアメリカ映画『捕らわれた女』を思い出しました。
こちらも実話ベースで、逃亡犯が家に押し入ってシングルマザーを人質に立てこもる事件を描いています。この犯人はすでに殺人事件を起こしているので、『ストックホルム・ケース』とは違って緊迫感が漂います。
しかし人質となった女性もまたクスリを断つことができず、罪を背負う人間でした。
完璧でない2人から生まれるぎこちない会話は、挫折に満ちています。
やがて犯人と人質は罪と向き合い、慰め、人生をやり直すことの意味を見出していきます。派手な展開はないものの、微妙な駆け引きや心理変化が見どころとなっていました。
犯人と人質。
それぞれ絶対絶命な状況下で意識した「死」への恐怖。そこから見えるお互いの弱さ。理解と共感で強いむすびつきが生まれ、運命共同体のような関係性をなんとなく理解できました。
『ストックホルム・ケース』や『捕らわれた女』など、こういったクローズドサークル・サスペンス作品は人の心情変化をじっくり見れるので、とても興味深いです。
今回もお付き合い下さり、ありがとうございました。