映画『Fukushima 50』観ているのが辛くなる原発事故を描いた作品

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引用元:映画com.


あらすじ

2011年3月11日午後2時46分、マグニチュード9.0、最大震度7という日本の観測史上最大となる地震が起こり、太平洋沿岸に押し寄せた巨大津波に飲み込まれた福島第一原発は全電源を喪失する。このままでは原子炉の冷却装置が動かず、炉心溶融メルトダウン)によって想像を絶する被害がもたらされることは明らかで、それを防ごうと、伊崎利夫をはじめとする現場作業員や所長の吉田昌郎らは奔走するが……。

引用元:映画com

 

想像より過酷だった原発事故の実態

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引用元:公式HP

ここまで映画で心を痛めたことはなかった。ストーリーが進むにつれ、焦燥感に駆られていく自分がいた。

 

映画は冒頭から、巨大地震が起きた現場を凄まじい空気で見せていく。

難しい専門用語が怒号のように飛び交い、何が起きているのか詳細は分からない。

しかし作業員たちの様相から、最悪な事態が起きていることがはっきりと伝わる。

どんどん上昇していく放射線量に打つ手がなく、やがて起きてしまう原発の水素爆発事故。

当時ニュースで何度も目にした、あの映像が飛び込んでくる。

その事故がどれほどの深刻度だったのか、当時の私は分からなかった。

まさか東日本が壊滅の危機にあったなんて、そこまで想像していなかった。

本作を観て、改めてセンセーショナルな事実を突き付けられ、打ちのめされた。

 

核燃料を冷やすため、作業員たちが高い放射線量の中に向かう場面は特に辛い。

2号機爆発時に発電所内に留まった作業員たちの姿も、やはり辛かった。

目に見えない恐怖に晒され、家族を想い立ち向かった彼らの心情は、どれほどのものだったのか。

堪えきれない感情が溢れてくる。

映画で向き合うには、あまりに辛すぎる内容だった。

 

終息していない問題を改めて見つめる

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引用元:映画com

福島原発事故は、日本人誰もが目を伏せていたかった出来事ではないかと思う。

私たちに恩恵をもたらしてくれたエネルギーが、突如として悪魔と化し、制御不能となってしまったこと。

放射線量をまき散らし、今も安全だと言えない事実があること。

解決されていない汚染水問題。

そして線量の多い危険な場所で、今も作業する人たちがいるということ…。

3.11は、まだ終わっていない。戦い続けている人たちがいる。

 

以前読んだ、竜田一人さんの漫画『いちえふ 福島第一原子力発電所労働記』を思い出す。

原発事故後、除染作業や廃炉現場を作業員の目から描いたノンフィクション漫画だ。

決してメディアが報じない過酷な作業や、劣悪な環境をリアルに描いている。

読んだときは衝撃だった。

この映画と合わせて見ると、今も終息していない問題に愕然としてしまう。

現場を知れば知るほど、苦しくなる。

しかし遠ざけてはいけない問題であることを、しっかりと打ち出している。

 

地元民が愛した景色に思う

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引用元:映画com.

映画で佐野史郎演じる総理像には違和感が残った。

視察に行った総理が現場に混乱を招き、作業の遅れの要因となったように描かれていた。ヒステリックな演技も悪意的に見える。

当時の政治批判が含まれていのるかと思った。

それでも映画の中で総理は、退避しようとする東電社員に「私も原発に向かう」と公言した姿勢を見逃してはいけないと思った。

あの総理の恫喝で、何かを変えたものがあるように思えてならなかった。

 

この映画を、娯楽映画として観るのは難しい。

フィクションとしているが、実在する吉田所長を映画に押し込んでいるため、ドキュメンタリー色の強い作品となっていると思う。

 

ラストシーンとなった満開の桜並木が印象的だ。

恐ろしい出来事があったのに、桜は変わらず春を告げている。

切り取られた美しい風景に、故郷を愛する人々を思い泣けてきた。

この場所は帰還困難区域に指定されているが、映画撮影後に一部解除されたらしい。少しだけホット情報を得て、心が楽になった。

 

今回もお付き合い下さり、ありがとうございました。

 


Fukushima 50