映画『ホテル・ムンバイ』最高級ホテルで起きたインドのテロ事件の実話
あらすじ
2008年11月、インドを代表する五つ星ホテルが500人以上の宿泊客と従業員を人質にテロリストによって占拠された。宿泊客を逃がすために、プロとしての誇りをかけてホテルに残ったホテルマンたち。部屋に取り残された赤ちゃんを救出するため、決死の覚悟で銃弾の中へと向かう父と母。テロリストたちに支配される極限の状況下で、特殊部隊の到着まで数日という過酷な現実を前に、人々の誇りと愛に満ちあふれた脱出劇が描かれる。
引用元:映画com.
最高級ホテルの惨劇
襲撃事件が起きたタージマハル・ホテルは、これまでアメリカ大統領やイギリス皇室など、多くの著名人が利用してきたインドが誇る最高級ホテルだ。
神殿風な外観や、色鮮やかで豪華絢爛な内装の美しさは目を見張るものがある。流麗な装飾は洗練されて近代的。そして圧倒されるほど壮大な規模で、見ているだけでゴージャス感に酔い痴れてしまう。
映画では大富豪をもてなす様子を映していたが、一般旅行客やビジネス客も利用しているらしい。
安くても1泊2万くらいするが、決して手の届かないクラスでないところがまた魅了される。
そんな楽園のようなホテルで、テロ事件は起きてしまった。
優雅な場所が一転、血の海となる。
ロビーや廊下、階段、客室から銃撃音と悲鳴が飛び交い、惨状化してしまう。
誰かれ構わず銃撃する犯人たちの冷酷さに戦慄が走り、言葉を失う。
本来であれば、すぐに警察や治安部隊が駆けつけるはずだが、事件となったムンバイには数名の警察しかいなかった。
それがさらに惨劇を生むことになる。
結局、1300キロ離れた場所から治安部隊が到着するのを58時間も耐え忍ばなければならなかったのだ…。
インド政府はテロ対策に本気で取り組んでいなかったみたい。この事件前にも何度もインド国内はテロリストに襲撃され、警告されていたようです。
使命感を持って立ち向かう人々
映画の見どころは、極限下においても使命感をもって起こす人々の行動だ。
自分ではない誰かのために立ち向かう姿は勇ましく、心揺さぶられる。
実は犠牲になったのは、ほとんどがホテルマンだったという。
映画では給仕係アルジュンや料理長が、パニックになる宿泊客を安全な場所へと誘導していく勇姿が描かれている。
ホテルマンたちの「お客様は神様」の基本理念が、日本のおもてなし文化と重なる。
正直、インドでもこんな高い理念を掲げて働く人がいたなんて、驚いた。
最高級ホテルは、そこにいるホテルマンたちも最高のホスピタリティと誇りを持って仕事をしていたのかと感心してしまった。
しかしホテルマン以外にも、使命感を持って動き出す人の姿がある。
宿泊客のデイビットは、自分の赤ちゃんとベビーシッターのいる部屋に戻ることを決意する。
一方のベビーシッターは、泣き続ける赤ちゃんを抱えてクローゼットや掃除具入れに身を隠し、耐え続ける。このベビーシッターの窮地には、観ているこちらも息を殺すほど凄まじい緊迫感を感じた。
そして数名しかいない地元警察も、劣勢と知りつつテロリストと戦おうと踏み出していく。
それぞれが捨て身ながらも、誰かを守ろうとした勇気に胸が熱くなりました。
狂信したテロリストたちの素顔
※ここからネタばれ含みます。
テロを起こしたのは、イスラム過激派の少年たちだった。
この映画では、終盤にかけてテロを仕掛けた少年たちの迷いや恐れも垣間見せていくので、複雑な思いに駆られる。
同じ無差別乱射事件を描いた映画『ウトヤ島、7月22日』(2018年ノルウェー)の正体不明な犯人とは異なり、犯人側の声に焦点を向けている。
テロリストの少年たちは「異教徒に奪われたものを取り返す」という復讐心で、凶悪な犯罪を起こした。
恐らく、貧しい環境の中、社会的な不条理を強いられ続けてきたのだろう。彼らの苦しみに耳を傾けたのは、宗教の指導者と名乗る者だけだったのかも知れない。
社会から切り捨てられた少年たちが、誤った信教に導かれていく悲しさを節々で物語る。
しかしテロリストたちが犠牲にしたのは、実はテロリストたちと大差ない不遇な者がいたことを映画は知らしめている。
その1人が、給仕係アルジュンだ。
アルジュンの帰る家は、貧しい集合住宅の一角にある。
華やかなタージマルホテルと対比するように、スラム街で暮らす人々の風景が映し出され、インドの貧富の格差を浮き彫りにする。
そこへ狂信者となってしまったテロリストたちの嘆きが、聞こえてくるような気がした。
今回もお付き合い下さり、ありがとうございました。