2019年製作/ポーランド・フランス合作
監督:ヤン・コマサ
出演:バルトシュ・ビィエレニア、エリーザ・リチェムブル
あらすじ
少年院に服役中のダニエルは、前科者は聖職に就けないと知りながらも神父になることを夢見ていた。仮釈放され田舎の製材所で働き始めた彼は、ふと立ち寄った教会で新任の司祭と勘違いされ、司祭の代わりを命じられる。村人たちは司祭らしからぬダニエルに戸惑うが、徐々に彼を信頼するようになっていく。数年前にこの土地で起きた凄惨な事故を知ったダニエルは、村人たちの心の傷を癒やそうと模索する。しかしダニエルの過去を知る男の出現により、事態は思わぬ方向へと転がっていく。
引用元:映画com.
ポーランドの神父なりすまし事件の実話
驚いた。
ポーランドでは、本作のダニエルのように、神父になりすます事件が毎年起きているらしい。
神父になるには神学校に通い、厳しい修練を積まなければならない。まさに過酷な道だ。
しかし身分証の提示を求められることがほとんど無いため、「神父」と名乗ってしまえば受け入れられてしまうという。
映画のモデルとなった19歳の青年は、ダニエルのように1つの村ではなく、実際は複数の場所で神父を演じ巡ったらしい。
ある意味大したものだと感心してしまう。
若くとも、威厳やカリスマ性が相当あったのだろう。
さらに驚くべきことは、信者たちからの強い要望で逮捕後も無罪放免となったことだ。
犯人がダニエルと同様、いかに慕われていたのか推測できる。
監督のヤン・コマサは、そんな突飛な実話に目を付け映画にした。ストーリーは、なりすましの他事件も盛り込み、娯楽性とスリルに富んだ仕上がりになっている。
生まれ変わるということは
本作を観て、ヴィクトル・ユーゴー原作の『レ・ミゼラブル』を思い出していた。
長い監獄生活から出所した犯罪者の男ジャン・バルジャンが、司教の救いによって心改め、恵まれない民のために戦う物語だ。ジャン・バルジャンは犯罪者の烙印を押された過去を切り捨て、別人として生きようとしていたが、素性を知る者が道をふさごうとする。
生まれ変わろうとしているジャン・バルジャンと、ダニエルが重なって見えた。
ダニエルは第二級殺人罪(計画的ではない殺人)で服役していた過去を持つ。
仮出所後すぐにクラブで踊り狂い、薬物を楽しんでいる様子が映し出される。
しかし行き着いた村で、咄嗟に名乗った「神父」を演じ始めてから、顔つきが変わっていくのが分かった。
新しい理想の自分を演じると、村人たちは素直に受け入れ、尊敬のまなざしさえ送った。
村人たちの期待とダニエルの目指すべき道が重なり、ダニエルの邪心が確かに消えた。
人は、出会いによって生まれ変わったかのような自分を知ることがある。
それはもしかしたら、初めて本当に愛する恋人や守りたい人と出会ったときかも知れない。
あるいは、初めて親になったときかも知れない。
しかし本来の自分とは、実は不確かでしかないのかも知れない。
救えなかった信仰心
※ここからネタばれ含みます。
ダニエルは信仰によって、人生の灯を見出だしていた。
少年院までの道筋は分からない。
しかし神父を目指そうとするも、「前科者は聖職者になれない」という事実にダニエルは打ちのめされてしまう。
何とも嘆かわしい。
一度罪を犯した者でも悔い改めれば、道は開かれるという教えと矛盾してはいないだろうか?
ダニエルは分断した村を救済した。
捕まる直前、村から逃げ出すこともできたが、向かった先は教会だった。
最後まで神父として、葬儀のミサの務めを果たそうとしたのだ。
信者の哀しみに寄り添ったダニエルは、村人たちの傷付いた心を癒し、憎しみを断ち切らせた。彼が本物の神父でないと知っても、恨む者はいなかっただろう。
残された村人たちが彼の思いを引き継いでいくのが印象的だ。
そして再び少年院に送り返されたダニエル。
彼の中で信仰が怒りに変わっていったように見える。
自分を救ってくれたはずの信仰とは何だったのか。
ダニエルの声なき声が木霊するようなラストで、やり切れなさに溢れた。