あらすじ
映画監督として成功をおさめたサルバトーレのもとに、老いたアルフレードの死の知らせが届く。彼の脳裏に、「トト」と呼ばれた少年時代や多くの時間を過ごした「パラダイス座」、映写技師アルフレードとの友情がよみがえってくる。シチリアの小さな村の映画館を舞台に、映画に魅せられたサルバトーレの少年から中年に至るまでの人生を3人の役者が演じる。アカデミー外国語映画賞やカンヌ映画祭審査員特別グランプリなど、各国で賞賛を浴びた。
引用元:映画com.
映画は魔法そのもの
今も世代を超えて愛されている本作。
映画好きの人は「これだけは観た方がいい映画」の1つとして挙げる人も多いのではないかと思う。
1950年代。
イタリアの小さな村に誕生した映画館『パラダイス座』。
娯楽のなかった村人たちが、たちまち映画に魅了されていく様子が楽しく映り込む。
映画館を訪れた人々は見たことのない世界に興奮し、銀幕スターたちの人生を疑似体験していく。驚きや笑い、スリルや感動の渦に巻き込まれ、特別な時間を共有する。
映画館は、自分でない誰かになれる場所だ。
世代や人種、性別を超え、ドラマティックな人生を旅する。
時には怒りや悲劇を味わうが、ひそかに見ていた夢や愛を実現することもある。決して日常では知ることのできなかった感情に目覚め、観る者の心を豊かさに彩ってくれる。
そうやって映画は、人の心に哀しみや喜びを仕掛ける。
まさに魔法そのものだ。
フィルムを回す映画技師アルフレードを、
少年トトは魔術師のように見えたかもしれないわ
アルフレードの込められた想い
トトが目をキラキラ輝かせてスクリーンや映写機を眺める姿は、自分が初めて映画で感動したときの喜びを思い出す。
それは人によっては映画でなく、子供のころ夢中になった「昆虫」や「電車」あるいは「本」かも知れない。好きなものを見つけ、その世界に没頭した子供時代を、本作は優しく思い起こさせてくれる。
人は大人になるにつれ、人生の行き止まりが見えてくる。
トトも同じだった。
そんなときアルフレードの「自分のすることを愛せ」と言う言葉が胸に突き刺さってくる。
火事で視力を失ったアルフレードは、夢から切り離されてしまった。
恐らく、村の誰よりも映画を愛してきただろう。
もう彼は映画の仕事をすることも、映画を観ることもかなわない。そんな運命を受け入れながらも滲み出る怒りや悔しさを、トトに向けたようにも思う。
旅立ちの駅で「帰ってくるな」とアルフレードは言う。
別れの言葉は思いのほか厳しく突き放すもので、トトを苦しませただろう。本当は「道に迷ったら帰ってこい」と言ってくれた方が、ずっと楽だったと思う。
アルフレードとトトのそれぞれの抱える想いが、切なく交差する。
帰る道をなくしたトトは、その後、確固たる信念で目指す道を歩き夢を叶えた。
アルフレードとの約束が背中を押していたのは言うまでもない。
それでも名だたる有名監督になっても、トトは何故か幸せそうに見えなかった。
故郷に一度も帰ることもなく、
30年の月日が流れてしまうのよね・・・
見事なラストシーン
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ラストシーンは、映画史に残る名場面だ。
アルフレードが唯一トトに残した形見のフィルム。
それは切り取り繋ぎ合わされたフィルムだった。スクリーンに投影したのは、昔恋した女性エレナの映像と、映画の数々のキスシーンだった。
積み上がった想いにあふれ、トトは笑いながら涙を流す。
きっとトトは、もっとアルフレードと一緒にいたかったのだろう。これまで通り、夢を追いながら助言者として見守っていてほしかった。ときどき故郷の村で懐かしい人たちに囲まれ、悩みや喜びも分かち合いたかったのだと思う。
しかしそれはアルフレードも同じだったことを、トトは知る。
本当はいつでも自分に戻れる場所があったことに気付く。
2人だけの思い出。
眩しい時間が、よみがえってくる。
トトはようやく、愛した世界で生きる自分を誇れたように見えた。
見事なラストシーンは、観る者の心も解き放してくれた。
そこに盛り立てる、エンリオ・モリコーネの音楽もたまらない。
多くを語らない映像の中に哀愁を深め、憎いほど泣かせてくれる。
本作は1989年の単館映画館「シネスイッチ銀座」で初めて上映され、その後のミニシアターブームのきっかけとなった。
今も多くの劇場で何度も再上映され、訪れる人々への贈り物として映画館に光を灯し続けているように思う。
今回もお付き合い下さり、ありがとうございました。