映画『ベニスに死す』これ以上にない純愛に、これ以上にないほど酔い痴れてしまう
イタリアの不朽の名作『ベニスに死す』(1971年公開)に出演したビョルン・アンドレセンのドキュメンタリー映画『世界で一番美しい少年』が、2021年12月17日(金)に全国で公開されます。
『ベニスに死す』は私にとって特別な作品なので、改めてその魅力を見つめ直していきたいと思います。
(古い映画なのでネタバレありで書きます。)
これ以上にない純愛
人が人に魅せられ身を焦がしていく様を、これほどまでに丹念に映像に綴った作品はないのではないかと思います。
セリフも少なく、その想いが吐露されることもありません。
映画鑑賞者はただ主人公アッシェンバッハの眼差しや、しぐさ、行動で彼の心を読み解いていきます。
それだけにこの映画の投入感は凄まじいものがありました。
私が初めて『ベニスに死す』を観たのは、20歳くらいのときでした。
当時の私がどれほど製作者が意図したものを汲み取れたか分かりませんが、厳格で高名な作曲家だったアッシェンバッハが美しい少年に魅せられ、少年を追ってベニスを彷徨う姿にどうしようもないほど打ちのめされたのを思い出します。
私の中で沸き起こったのは軽蔑や哀れみではなく、理解と共感でした。
まるで自分も老いたアッシェンバッハに成り果て、少年の浮世離れした美しさにひたすら心酔していたのかも知れません。
トーマンス・マンの原作では小悪魔的な美少年として描かれていますが、映像では優美さと繊細さにあふれ、とても儚げに映りました。
少年のフッと見せる表情も悲しげで、それがより一層アッシェンバッハ(と私)を惑わし憔悴させていたように思います。
手が届きそうで届かない距離。
伝えたいのに伝えられないもどかしさ。
そして狂おしいまでに秘められた想いと、葛藤。
当時も今もこの映画にはこれ以上にない純愛を感じ、観るたびに途方もない感情に溺れていく自分がいます。
結末に見たもの
結末は「生」と「死」、「若さ」と「老い」を対比させ、映画史に残る見事なラストシーンを生み出しました。
浜辺のパラソルの下。
白いデッキチェアに横たわったアッシェンバッハはこの世で一番美しく、一番愛おしいものを目に焼き付け、芸術家としてずっと追い求めていた「美」の答えに辿り着きます。
美とは神聖で人が作り得ないものであること。
美への渇望は絶望と一体化し、品位を保ち続けた人でさえ愚かにしてしまうということ。
どこまでも広がる碧い海。
陽光に照らされて煌めく少年のシルエット。
アッシェンバッハは浅瀬で振り返った少年が何かを伝えるようなしぐさをしたのを見て、恍惚とした笑みを浮かべ死を迎えます。
彼にとっての至福の瞬間が死と共に昇華していくのを静かに感じ、心震えました。
全編マーラーの曲が胸を締め付けるほど切なく、情感にあふれています。
衝撃すぎた世界観に魅せられて
初めて観たイタリア映画。
それもルキノ・ヴィスコンティ監督の耽美的な世界を知ってしまった私は、これをきっかけにイタリアやフランスなどのヨーロッパ映画の美しくも退廃的な作品を好むようになりました。
それらの映画の真髄をしっかりと味わえていないかも知れませんが、どこか危うく狂気じみた映画に感じたことないカタルシスに浸る自分がいました。
私にとって『ベニスに死す』は、これまでの映画の見方を真っ向から変えてしまうほどの衝撃でした。
もう後戻りできない世界観にほだされた私は、DVDやサウンドトラック、パンフレット(神保町の古本屋で入手!)、原作、脚本、写真集を買い揃え、ひたすら陶酔していたことを思い出します。
しかしそれだけでは空き足りず、いつしか映画の舞台となったベニスを訪れることが最大の夢となりました。
彼らと同じ場所に立って映画の世界を体感したい。
それから数年後、ついに夢を叶えにイタリアに向かうほど映画への想いを焦がし続けました…。
今回も最後までお読み頂き、ありがとうございました。